Shin Yamagata

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3月11日
隣の席に座っていた40歳過ぎくらいの男が立ち上がって、自身の向かい側に座り直した。男が座っていた席に、キャップを深くかぶった60歳を過ぎたくらいの痩せた男がコーヒーを片手にやってきた。赤いラインの入った上下揃いのジャージを着た年寄りの足元は素足にサンダルを履いていて、くるぶしの辺りに大きなかさぶたがあった。席を譲った男は太っていた。紺色のブレザーに茶色くて光沢のあるスラックス、紺のギンガムチェックのシャツに紺のネクタイ、灰色のベストが丸いお腹で膨らんでいる。靴はストレートチップの黒い革靴、ちらっと見える靴下はスラックスよりも明るい茶色、べっこう柄のメガネをかけていて髪はちりちりパーマのツーブロック。不釣合いな二人がどんな話をするのかと気になって耳からイヤホンを外した。格好から、若い男の方は不動産屋ではないかと思ったのだけど、話を聞いていると派遣会社の人間らしい。建築現場の仕事を紹介している。条件は月40万円以上と聞こえてくる。ということは、年寄りの方は何かの資格があるのかもしれないけど、そういう話にはならない。70過ぎまで働くのは当たり前ですよ、と若い男が笑いながら言う。年寄りの声は低い。ゴルフされるんですか? 着ている服のブランドがそうですから、などと若い男が言う。服のブランドを見てわざわざそんなことを言うような奴はきらいだ。年寄りは、もうやってない、と一言だけ言ってその話は終わった。若い男は、そういえば、と急に思い出したように、すぐに紹介できる仕事がある、と話しはじめた。あらかじめ用意していたのはバレバレなのに、よくそんな芝居掛かった態度で話せるな、と聞いているこちらが恥ずかしくなる。それからしばらくパソコンのキーボードを叩いていた若い男が






1月4日
自転車で40分くらいのところにあるマクドナルドに行った。ここまでくれば広くてソファーなんかも置いてあるような店なのではないかと思っていたのだけど、店内は狭く、テーブルもぎゅうぎゅうに詰められていて、座面が合板のカチカチの椅子しかなかった。正月も落ち着いたからか店内は混み合っていて、注文するにも並ばなければならなかった。順番がまわってきてホットコーヒーを頼むと「オテモチデスカ?」と店員に言われた。高校生か大学生か、若い女の店員だった。外国人ではなかった。何を言われているのかわからなかった。言葉に詰まった。「お手持ち」と頭の中で漢字に直してもわからなかった。上を見て、見なくてもいいメニューを見た。三秒くらいじっとしていたかもしれない。やっと出た言葉が「オテモチとは?」だった。「手で持たれますか?」と女の店員が言い直した。持つに決まってるでしょ、と思ったけど言わなかったし、何を聞こうとしているのかわからなかった。また三秒くらいじっとしていたかもしれない。女の店員を見た。めんどくさそうだった。マスクをしていてもそれはわかった。「店内で飲みます」と聞いてきたこととは別のことを答えた。女の店員はそれ以上何も言わなかった。聞き分けがなくてどうでもいいことで店員などに絡んでいるおっさんをたまに見かけるけど、もしかして今まさにそういうおっさんになりかけていたのかもしれない、と不安になった。女の店員は何も言わずにレシートを渡してきた。お持ち帰りですか? ならわかるけど、オテモチとかはじめて聞いたし、オテモチという言葉があるのかどうかもわからないし、それに、オテモチという言葉に反応できなくて固まってしまうその反射神経の鈍さがもう


1月14日
お腹が痛くて目が覚めた。すぐに痛みが引いていったけどまた痛くなって目が覚めた。なんとなく嫌な予感がしたけどまた痛みが引いたから寝た。やっぱり痛くなって目が覚めた。何を食べたか思い出そうとした。生卵かなと思った。そうするとノロウイルスとかかなと思いながら起き上がってトイレに行った。寒いから上着を着て便座に座った。またそのうちに痛くなるだろうと思って、もう一度何を食べたか思い出そうとした。牛肉が焼けてなかったのかな、とも思った。吐き気はなかった。お腹が痛いだけでまだ便意もたいしてなかった。だけど、そのうちにくるという予感はあった。痛みの間隔が狭まってきているような気がしていたし、痛みもひどくなってきていた。それにつれて、体温も上がってきたのか、暑くなって上着を脱いだ。体がおかしくなってきた。トイレの中は外の気温と変わらないくらいに冷えているのに、どんどん暑くなって、着ているものが邪魔くさくなって、全部脱ぎたくなってきた。お腹もものすごく痛くなってきて体がぺったんこになるくらいに折り曲げた。便座に座っているのもつらくなってきたけど、ここに倒れ

1月5日

近所を少し歩いた。日影は寒い。日向は春みたいにあたたかい。脱いだ服が邪魔でしょうがない、というのを何度か経験してきたから、薄い上着にマフラーも手袋もしていない。暖冬だ暖冬だというけど、ほんとうに暖冬だった。空が青い。少し前に雨が降った翌日ほどではないけれど、空気がまだ澄んでいる気がする。カメラを持って出てきてよかった。影が長い。コントラストが高い。向きによっては影ばかりになってしまうから、冬はカメラの方向が限られる。そういえば、ラジオから篠山紀信が死んだというニュースが流れていた。篠山紀信の写真集は二冊だけ持っている。オーストラリアかどこかの航空会社が出したらしいのかなんなのかよくわからないけど、オーストラリアを撮影した写真集と山口百恵を写した写真集だ。両方とも古本屋で見つけて、よかったし安かったしで買った。葉を落とした庭木の影が家の壁に落ちている。そういうのにいちいち目が向いてしまう。葉が落ちると枝の隙間から向こうが見えた。それが冬のいいところだと思っていた。角を曲がってゆるい坂道を下っていく。リンゴやモモの木が植えているところを目指して歩いていく。その脇にこぶしの大きな木があるのだけど、