Shin Yamagata

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その女




目の前に座った女はいきなりいなり寿司を食べはじめた。「いきなりいなり寿司」という歌をリップスライムに作ってもらいたいくらいだが、今はそんなことはどうでもいい。その女は短めのベージュ色のタイトスカートをはいているのに足を少し開いて座っている。しかしパンツは見えない。もう少し踵の高い靴を履いていたならパンツは丸見えだっただろう。オレンジ色とねずみ色の細かな模様のある、見たことのないようなタイツをはいているから、開いた足が少し気になってしまう。そしてフサフサした靴を履いている。短めの犬の毛が生えたような靴だ。その靴も全体的にねずみ色をしている。だから「短めの犬の毛」ではなくて「ちょっと長めのネズミの毛」と書けばそれでよかったのかもしれない。年齢は25歳前後だろうか。髪は短めで茶色く、少しきつめのパーマがかかっている。そして顎を右にずらしながらいなり寿司を食べ続けている。よく見ると顎を右にずらしているのではなくどうやら元々顎が少し右にずれているようだ。しかしともさかりえほどずれてはいない。ほんの少しだけずれている。いなり寿司を食べ終わった女は何色と呼んでいいかわからないような鞄からペットボトルを取り出し、その桃のなんとかジュースみたいなものを少し飲んだ。そしてその何色かわからない鞄からさらに小さな鞄を取り出し、そこからプラスチックの小さな丸いケースを取り出し蓋を開け、人差し指をその中へ突っ込んだ。チョンチョンと数回人差し指を突っ込み、その人差し指についた肌色のベトついた液体を眺め、蓋を閉めてそのケースを鞄に仕舞い、今度はプラスチックの板を取り出し、それを見ながら液体のついた人差し指を右の頬につけた。頬についた肌色の液体をその人差し指の隣にある中指でのばし始め、頬全体に広げていく。今度は左の頬へ。たまにトントンと中指で頬を叩きながらその肌色の液体を顔全体にのばしていく。おでこやあごにももれなくのばしていく。女の後ろでは時々桜のある風景が流れていく。そういうのもたまに目に入ってくる。女は持っていたプラスチックの板を鞄に仕舞い、前のと同じようなプラスチックの小さな丸いケースを取り出し、蓋を開け、中に入っているやわらかそうなフカフカしたものをつまみ上げ眺める。それは若いお母さんが風呂上りの小さな子どもに白い粉をトントントンとつけてやるものを小さくしたものと同じようなものだ。しかし今もそのような光景が各家庭で繰り広げられているのかどうかはわからない。そのフカフカしたものをまたケースの中に入れて蓋をし、裏返してトントンと反対側の手に軽く叩きつける。そしてまた蓋を開けそのフカフカしたものを取り出し、顔全体をそのフカフカしたもので叩き始めた。そしてそういうのを何回か繰り返した。それが終わるとまた丸くて小さなプラスチックのケースを取り出し、今度はそこに中指を突っ込んだ。そして突っ込んだその中指で目の周りを撫で始めた。目の周りはそうやって撫でるたびに赤くなっていった。最初は左目、次に右目。女の両目の周りは赤くなってしまった。次に女が取り出したものは綿棒の先が黒っぽくて少し平べったくなっているものだ。その平べったくなった先っぽを別のプラスチックの四角いケースにチョンチョンと押し付け、その先端で目じりの方をこすり始めた。目じりはだんだんと黒くなっていき、目の周りが赤と黒に二層に分かれていった。正確に言えばその外側には肌色があるわけだから三層になったというべきなのか。さらに短めの黒い色鉛筆のようなものでまつ毛の生えている辺りを黒く塗り始めた。そうやって目の周りを黒い輪郭線で囲んでしまった。四層になったということか。その女の左隣に座っている若い男もその女が気になるようだが、真横に座っているのでじろじろと見るわけにはいかない。そしてチラッとさえも見ていないのだが、その男は明らかに隣の女のことを意識している。そういうのが体全体からぼわんと出てきている。その男と一度目が合ったが男はすぐに目を逸らせた。女は次に小さなハサミのようでハサミではなく、ハサミの先っぽが弧を描いた、、、それは隅から隅まで銀色でハサミと同じような形態をして、指を入れてチョキチョキできるようになってはいるが、先端には刃物ではないものがついていて、それは何かと言えば弧を描いた、、、この道具の名前を知らない。そして書けない。まつ毛をクリンッとさせる道具のことだ。その道具を使いまぶたの上のまつ毛を挟み、少しずらしながらチョキチョキという動作を3、4回繰り返す。そして下のまつ毛も挟んで同じようにしようとしている。その時、まつ毛が挟まれている少しひん剥かれた目がこちらを見ているようでドキッとしたが微妙に視線がずれていて目は合っていないようだ。もし目が合ったとしても目は逸らさなかっただろう。そして電車は池袋に到着し、足を少し開いたままその女は立ち上がり、電車を降りていった。