Shin Yamagata

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視点




ズレるとダメだという絵もあるだろうし、ズレないと絵ではないという絵もあるのだろう。ズレたことによって画面に緊張感が生まれている。バランスが崩れているようで崩れていない。コップに水を溢れるくらい入れてあと一滴入れたら溢れてしまう、表面張力で盛り上がってるけどギリギリ溢れていない、というような緊張感がある。現実と照らし合わせるとおかしいけど、絵だからおかしくない。これが絵だった。マチスの金魚の机だけ見るとほとんど真上から描いているような感じだけど金魚の入ったビーカーは斜め上くらいから描いている。これはセザンヌの絵もそうだった。それに机の脚がおかしいじゃないか。おかしいのは現実と照らし合わせるとおかしいのであって、絵としてはおかしくない。ああ、これが絵だった。こういう絵は見飽きることがない。そしてこれは写真ではできない。「これは」というのは一枚の絵の中に複数の視点があるということだった。これは絵にできることで写真にはできないことだった。本当は写真にもできる。フォトショップを使ったり、そう見えるようにセッティングして撮影すればできないこともない。けど、そんなことしなくて、それでも写真でこの緊張感を出したい。そのためにやらなければならないのはある一点を見つけるということだった。その一点に立ち止まるということだった。一歩ズレるとこの緊張感がでないこともある。ある一点に立つというのはフレームを意識するということだった。絵はキャンパスというフレームがあってそこに絵の具を置いていくのかもしれないけど写真は絵の具が散らばっているところにキャンパスを押し付けるということなのかもしれない。いや、こういうのは比較してはいけないのかもしれない。これは本当はまったく違うことなのかもしれない。こういうことは画家と色々話し合うと明らかになるのかもしれなかった。話し合いたい画家募集中。
つづく