Shin Yamagata

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3月27日




圧迫される、とか体に関する感想を言われるのはうれしい。昨日はそういえば民家の屋根の形の話になった。茅葺や板葺で屋根の角度が違うとか、あの地形だから家の形も制限されるのではないのかとか、そういう話にもなる。あの写真を見てそういう色んな話ができるのだなあとこれもやっぱりうれしい。普段まったく「この手の」写真を見ない人の反応はやっぱり「ん?」とか「は?」になるのもおもしろい。写真のどの種類の魅力がその人の関心を引くのかは話してみないとわからない。そうやって探りながら話して「あっ」とか「へー」とか「気持ち悪い」とかそういう反応が出てくるのだからやっぱり言葉はある程度必要なのだった。ただその言葉の種類とか使い方はむつかしい。相手が目の前にいて話す言葉は相手があっての言葉だけど、誰に向かって書いているのか、はっきりとしない相手に向かって書く言葉はまたむつかしい(マクドナルドやコンビニで目の前に相手がいるにもかかわらずロボットのようにただ音を発する場合もある。そうじゃない人もいる。なぜロッテリアと書かずにマクドナルドと書いてしまったのか)。一つの言葉が人によって様々なイメージを含んでいるからどこかに書きつける言葉はどうとらえられたって「いやいや、違うんです」とは言えないまま読んだ人のものになっていく。それは言葉のおもしろさでもある。写真だって「誤読」されることによってその「誤読」した人の何かを変えていく可能性がある。「誤読」を許さないものもある。