Shin Yamagata

お知らせ  zine  Twitter


 

4月30日




ギャラリーへ入ると暗室のにおいがする。正確には定着液のにおいだ。暗室に入ったことのある人間ならばまずそのにおいに対してなんらかの反応が起こるはずだ。暗室に入ったことのない人間はなんだこのむっとする空気のギャラリーは。写真は現像ムラでぐしゃぐしゃになっていてまじめな人間は失敗している写真だと言って見向きもしない。あるいは「ファインプリント」に価値をおく人間にとっては単なる暴力でありそして「ファイン」に力点をおくが故に決してその暴力に打ちのめされることはない。そもそも写真は額におさまっていなかった。ロール紙を切った状態のままピンでとめられており、印画紙の縁はくるんと丸まり隣の印画紙と接触し、薬品の抜け切っていない印画紙が直接壁に触れ、このままだと壁が汚れてしまう危険があるじゃないかとまじめな人間はクレームをつけたがり、次回展示する人もこのにおいの中でやらなければならないのかしらんと他人の心配までしてしまい、さらにこんな写真は10年ももたずに画像が消えてしまうよと文句を言いたがる。現像ムラによってできた写真上の染みは写真の上に一枚のベールをかぶせやしない。鏡のようになった車に写り込む街の歪んだ風景と染みが一体となり(車の汚れなのか染みなのか区別がつかなくなる)、ビルの壁に落ちる電線の歪んだ線が現像ムラの線と重なり(どれが影かわからない)、光が一筋差し込んでいると思えばそれは現像液が印画紙に触れなかった部分であり、ビルの壁面を覆うガラスにぶつかった太陽の光が地面や向かいのビルに反射光を撒き散らしているのか現像ムラなのかの区別もつかず、工事現場を覆うシートや幟の皺も。つまり現像ムラこそが写真で現像ムラが現実で街の模様も染みの模様も写真を取り囲む白い縁に浮き上がる模様もその白い縁そのものも。はじめは染みと写真の間を往復する運動を繰り返していた感覚はしだいに往復運動をやめすべてを染みと受け入れるあるいはすべてを写真と受け入れる…その前にこの壁に貼り付けられているのは紙で…銀座ニコンサロン(http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2014/04_ginza.htm#03)。