Shin Yamagata

お知らせ  zine  Twitter   Instagram


 

f:id:blepharisma:20181231191323j:plain
12月31日
昨年の大晦日は何を書いたのだろうと思った(https://blepharisma.hatenablog.com/entry/20171231)。
今年はセクハラどころではない、広河隆一の性暴力疑惑(https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/25/mayumitaniguchi-metoo_a_23627013/)の記事が年末に出た。広河隆一が文春の取材に答えた言葉がまたひどい。まだこれからいろいろ出てくるのかもしれない。「広河隆一さんの性暴力に関する報道を受けて」(http://journalasia.blog22.fc2.com/blog-entry-760.html)という文章を読む。自分がその場にいたらどうしただろうかと思った。アラーキーの件も今年はあった。アラーキーは結局何のコメントも出さなかったのだろうか。そういう話は聞いていないからたぶん出さなかったのだろう。出していたら誰か教えてください。アラーキーは社会的な制裁を受けることなく仕事を続けているということか。それとも社会的な制裁を受けるようなことは何もしていないということなのか。黙っていては何もわからない。アラーキーを擁護するようなことをSNSに書き込んでいた写真家もいた。飯沢耕太郎アラーキーの件に対して書いた文章はもう読む気にもならないけど、ここに貼り付けておく(http://realkyoto.jp/article/izawa-kotaro/)。これが写真評論家の仕事らしい。そんなアラーキーの一件があったあと、その一件に何も触れないまま、アラーキーの写真を表紙に使った老舗カメラ雑誌の編集長のインタビューもあった(https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/04/asahicamera_a_23607860/?utm_hp_ref=jp-arts-culture)。このインタビューを読んで呆れた人も多いだろう。無自覚なまま「男」を振りかざしていないか、男のわたしはもっと想像力を働かさなければならない。アラーキーの一件はこのまま、うやむやなまま終わってしまうのか。除夜の鐘を聞いて、それでおしまいか。いろんなことにけじめがつかないまま時間だけが過ぎて行く。そういうことがこの島国のあちらこちらで起こっている。