Shin Yamagata

お知らせ  zine  Twitter   Instagram


 

f:id:blepharisma:20190919085628j:plain
9月17日
山下くんの写真展を見た。暗そうな室内で撮影された人物がブレずにピタリと、そして、ピントがきていることにさすがだと思い、シャッタースピードはどれくらいだったの? と山下くんに聞いてみると、いきなりカメラおやじみたいな質問だな、と顔をしかめられる。だから次の質問は、印画紙は何? にしてみた。それからカラスの向こうに小さく写るドーム型の原発施設のことやキリスト教について山下くんに聞き、あまり意味のなさそうなカットが混ざっていることや子供が写っている写真について話したりしていると、さっきから文句ばっかり言ってて、何を言っているのか興味があって聞きたいんですけど、と知らない女の人が近づいてきたのだけど、確かに褒めちぎってはいないけれど、文句ばかりを言っているわけでもなかったのに、そう聞こえているということは、喋り方なのか態度なのか、それともやっぱり文句だけいっていたのか、あるいは、聞いている山下くんの態度がそう思わせたのか、なんなのかはまったくわからないのだけど、全部の写真が素敵です、素敵です、というその女の人の、挨拶もせずに近づいてきてさらりと会話に混ざってくるその距離感に馴染めないわたしの

Y氏の写真展を見た。Y氏はおそらく、クソつまんねー奴ら、例えば、まんまと写真学校の講師の席に収まり、女子生徒を騙して性行為に及ぶような写真家、あるいは、そんなことはよくあることですよ、とそれらの行為を黙認してむしろ武勇伝ぽく語りたがるヘラヘラと笑っている写真家(もちろん両方とも男だ)、たいしておもしろくない写真なのにしゃこーしゃこーで成り上がった写真家、商業ギャラリーで取り扱われただけで急に上から目線で話してくる写真家、まるで現政権のクソみたいな奴らを見ているような、そんな低脳な奴らにイラついているのだろうか、俺は普段はこんなだけど、本当は写真のことを一生懸命やっているし、腕だってお前らと違って確かなものがあるんだ、みたいなことを言いたいのか、ついそういう基準で選ばれた写真が混ざり込んではいないだろうか。写真がうまいのは当たり前だ、それが写真家なのだし、プリントがきれいなのも当たり前で、それが写真家の仕事なのだから、そんな仕事もできないクソみたいな奴らのこと(そういう奴らに限って、高い技術に裏打ちされた暗室技術によってプリントされた写真は、云々、デンデン、などと言いたがる)は無視してただ自分のやりたいことだけをやればいいのだけど、そういう奴らが目障りで目障りで目障りで仕方がないとでも言いたげな、

yさんの写真展を見た。yさんは夕方などの「美しい」時間帯に写真を撮ることが多いらしい。白黒写真ではわからないが、それでも、淡いグレートーンのプリントから、それらを想像することは可能かもしれない(白黒写真を見慣れた者の目であれば特に)。しかし、その「美しさ」はなんだろうか。yさんはその「美しさ」を写真を見るときのきっかけや入り口として利用しようとしているらしい。より多くの人の目に触れるための戦略、と言えば大袈裟だろうが、ま、そういうことになるのかもしれない。夕焼けはきれいだ。わたしも空が色付いているのに気づくと、つい目を細めて眺めてしまう、ピンクや赤や水色のグラデーション、その混ざり方、雲の影や形、そして、カメラを向けて撮影してしまうことも確かにある。しかし、夕焼けは曲者だ。まず、現実に見ているときの感覚と写真になったそれを見るときの感覚の落差が激しい。そして、夕焼けの写真を利用している奴らは他にもゴマンといる。その利用の仕方はだいたいにおいて胡散臭い。権威や権力や金のにおいがプンプン漂うこともある。そのように散々使い古された夕焼けを