Shin Yamagata

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9月26日
「写真評論家」が、評論は解説だ、一般の人にもわかるように解説するのが評論だ、そんなことを言っている文章を読んだ。写真評論家が評論は解説だと言っている。写真評論家が評論は解説だと言っている。写真評論家が評論は解説だと言っている。びっくりしすぎて四回目も書きそうになったのだけど、ぎりぎりのところで正気に戻った。評論家でも解説者でも、自称だからどうしようもない。「わたしはサーファーです、大勢の前で貶められ蔑まれている人間やものを見て見ぬ振りをする人たちで溢れかえっている、そんな荒れ狂った世の中の波に日々乗りつづけています、わたしはサーファーです」こんなふうに、人は好きな肩書きを名乗る自由を有している。何処かの国のどこかの都知事のように学歴詐称ではないかと騒がれることもない。評論家の定義は曖昧で本を一冊出版するだけで評論家を自称することができる、とウィキペディアに書いてある。本を一冊の本は、もちろん評論集なのだろう。まさか、自己啓発本やスピリチュアルに関する本ではあるまい。評する、と、論じる、二つ合わされば解説になるという化学反応、こんなところに化学という言葉を使うのも