Shin Yamagata

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12月31日
写真評論家の背久原槍太です。ご無沙汰しておりました。今日は大晦日ということで、毎度毎度のことで恐縮ですが、恒例となっておりますので仕方なしにこの一年の写真を振り返ってまいりたいと思っております。しかし、その前に、この一年というよりも、これはずっと続いていることで気になることがありますので、まずはそちらの話題からはじめていきたいと思います。
東都写真美術館の展示がどれだけおもしろくなくても写真家は表立って文句は言わず、居酒屋などで今回もつまらんつまらんと鼻息荒く文句を言い合ったりしています問題、というのがあります。ほとんどの方はそんな問題があることを知らないだろうとは思いますが、写真家の方々ならば心当たりのある方も多いのではないでしょうか? 写真家たちはとりあえずそれくらいしか話題がないというのもあって、展示が入れ替われば東都写真美術館の話題をぽつぽつと話したりしているようです。そして、だいたいが文句なんですね。誰だ、今回のこの展示を企画した奴は! ええ? 波和原受子だと? そんな奴しらねーよ。こんなのただの寄せ集めじゃないか! こんな展示で何を言おうとしているのだ! 何を伝えようとしているのだ! 後付けも甚だしい、頭悪過ぎだろ! ガッチャン、パリンッ、バガッ、ドガッ、と物が飛び交い殴り合いが始まり、手のつけられない酔っ払いどもの罵詈雑言が居酒屋を渦巻くことになるわけです。心からこの状況を憂い嘆いている写真家もいれば、嫉妬ややっかみからそのような言葉を吐く写真家、ただ祭り好きな輩も混ざったりして、それはそれはさまざまな立場からの意見というか文句が発せられているわけです、裏側で。そうなのです、決して表ではなく、裏側で、なのです。なぜ裏側なのか? こんなことは問うまでもなく、みなさんが知っていること、いわば常識として知れ渡っていることであります。表立って言えない理由は、いつか自分も東都写真美術館で展示をしたいと思っているから、あるいはかつて東都写真美術館で展示をしてお世話になったことがあるから、というものであります。批判すれば学芸員に嫌われると思っているし、いくらいい写真を撮っていたとしても今後一切声が掛かることがないと思い、表立って文句を口にすることができないのです。口を閉ざしているならまだしも、太鼓持ちのような写真家が恥ずかしげもなく東都写真美術館の展示を褒めちぎっている姿を目の当たりにすることもしばしばありますし、似たようなこととして、認められた写真家になった気分で喜びいそしんで内覧会に足を運んでいる写真家の姿もよく見かけるわけです。卑しさ全開でワインを飲んで図録をもらって、その場では当たり障りのない話ばかりをして、展示してある写真については一切触れることなく、久しぶりーとか最近どうとかえー結婚したのかーとか太ったんじゃないとか、ほんとうに展示してある写真とはまったく関係のない話をして楽しんでいるわけです。久しぶりの再開を喜ぶ同窓会的光景が広がっているわけですね。まあ、それはそれでよしとしておきましょう。そして必ずといっていいほど、パリンッ、とワイングラスを割る輩がいるものです。それもまあ、よしとしておきましょう。わたしも仕事がらよく内覧会に出席させていただくのですが、辟易とした気分でそのような光景を毎回拝見させていただき、むしろこのおぞましい光景こそを写真に撮るべきではないかと、常々考えているところであります。
写真に興味のない方々も今まで書いてきたことを頭に浮かべてみると、なんとなく心当たりのある人もいるのではないでしょうか。そうなのです、写真家のほとんどは勤め人と同じなのであります。いえ、こんなことを言えば勤め人に失礼です。勤め人の一部の人間としておきましょう。写真家だ、アーティストだ、などと言って自由を謳歌しているような振りをしていても、所詮は雇われる側の人間だという意識が透けて見えます。上司には逆らえない、会社の言うことをきちんと聞いていればいつかは出世できる、文句など言わず大人しくしておくのが一番利口なやり方だ、そのような態度です。これももちろん写真家の一部の人間としておきましょう。本当に「一部」かどうかは知りませんが。要するに犬ですね。犬というのはわんわんと吠える犬のことではありません。「国家権力の犬」という言葉の中で使われる犬だということです。わんわんと吠える犬に対して失礼になってしまいますから。
あら! まあ! やだ! まだ本題に入ってもいないというのに紙面と時間が尽きようとしているわ。落語でいうところの「まくら」の途中だというのに。わたしとしたことが久しぶりの登場でペース配分も忘れてしまった模様。まあ大変。でももう仕方ないじゃないの。ここまできてしまったのだもの。じゃあ、最後にお知らせしておくわ。お知らせといってもわたしの宣伝じゃなくってよ。わたしは宣伝するようなことがないのよ、残念ながら。わたしはね、どうせね、写真評論家なんて名乗っているけど評論集なんて一冊も出していないし、評論と呼べるような文章も書いてない、そんなことはあなたに言われなくったって十分わかっているのよ。売文よ、売文。お金をもらえればなんでも書くから、書いていることに一貫性がないのもよくわかってる。お金をもらえないのに書くなんて考えられない。だからね、写真家はお金ももらえないのに写真撮ってて、ほんとに頭のネジが何本も抜けてる人たちの集まりなんだなーって、そしてわたしみたいな人間にお金を与えてくれる貴重な人たちなんだなーって尊敬と軽蔑の入り混じった目で見てるわよ。わたしはびた一文、写真家に払うつもりはないけどね。あ、これ、秘密ね。だいたいね、写真なんて何パターンかの論じ方を覚えれば書けてしまうのよ。写っている対象について書く、写真史や写真論を参照して書く、撮影方法に焦点を当てて書く、最低この三つを押さえておけばいいのよ。だから多少の勉強は必要よ。でもその勉強さえすれば書きたいことなんてなくたってなんでも書けるのよ。あとは書きながらバリエーションを増やしていく。ただそれだけよ。やる気じゃなくてテクニック! 写真評論における企業秘密を一つ教えましょうか。すごく簡単なのにそれっぽく見えてしまう魔法の言葉。「同時代的」。これよ、これ。わたしはもうこの言葉を何回使ったかわからないわよ。色々書いて、最後に同時代的だ、みたいなことをぽっと書けばそれでいいの。なんとなく雰囲気出るでしょ? 「同時代」に「的」をつけただけの言葉で、よくよく考えればなんてことはない。同じ時代に生きてますね、みたいな当たり前のことを言っているだけのに、なにかとってもいいことを言っているような気がするでしょ。こういう魔法のような言葉がいくつかあるのよ、他のは教えないけど。なによ、文句あるの? 何が悪いのよ! 魔法の言葉は便利なのよ! これがテクニックなのよ!! こんなのでも書いて書いてと引っぱりだこだし、トークショーにも呼ばれるし、写真学校の講師にも招かれるんだからね! わたし人気者なんだから! あんたになんか文句を言われる筋合いはないのよ!! あら、ごめんなさいね、ついヒートアップしちゃったわ。だから、お知らせよ。東都写真美術館は明日の元日は休みだけど、確かその次の日は無料で公開されているんじゃなかったっけ? 確かそうだったはずよ。ウソかもしれないから自分でよく調べてみてね。東都近辺にお住いの方で暇を持て余しているのなら足を運んでみるのもいいかも。チェケラッ。それではまた来年。よいお年を。