Shin Yamagata

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電池




ゆれていたとき喫茶店にいた。走って外へ出た人もいた。立ち上がって動こうかどうしようかという人もいた。おばさんは何か叫んでいた。僕は座ったままコーヒーがこぼれないように持ち上げ出口を見ていた。まだゆれるのかなとか、これ以上ひどくなったら立ち上がらなければとか思っていた。震源地はどこだろうかと思っていた。東京付近じゃなければ、ひどいことになってるかもしれないと、阪神淡路大震災のことを思い出していた。ゆれがおさまると店を出る人が何人かいた。隣の人は携帯電話をいじっていた。店を出て家へ向かう途中の住宅街には家から出てきたたくさんのおばさんたちが立ち話をしたり道の端に座り込んだりしていた。家へ帰ってテレビを見ると津波が町を飲み込んでいく様子が中継されていた。テレビから目が離せなくなった。テレビを見ている間もときどきゆれていた。ゆれているのかゆれていないのかわからなくなるようなときもあった。外から救急車か消防車かのサイレンの音が聞こえてきていた。夜になって外へ出た。近くの大きな道路の歩道は歩いている人でいっぱいだった。2時間以上は歩いてるはずだった。実家から大丈夫かという電話がきた。名古屋と大阪の友達からも大丈夫かというメールが届いていた。寝ていてもゆれでときどき目が覚めた。起きてからもテレビを見ていた。インタビューに答えているおじさんがギュッと固く目をつむりながら防波堤を越えてくる津波の様子を語っていた。おじいさんはインタビューの途中で言葉を詰まらせ涙を流していた。昼過ぎに外へ出た。晴れていた。小さな子どもがお父さんとボールを転がして遊んでいた。コンビニの弁当類は全部売り切れていた。スーパーに行くとパン、水、カップ麺などがなくなりつつあった。100円ショップでは電池や懐中電灯が売り切れていた。ゴルフの打ちっぱなしからはゴルフボールが飛んでいく乾いた音が聞こえてきていた。こぶしの花が咲き始めていた。部屋に戻ってまたテレビを見ている。