Shin Yamagata

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「写真とは何か?とは何か?」




糸崎公朗写真展「反-反写真」のギャラリートークにゲストとして参加します。無料。
場所 TAP Gallery
日時 2012年4月6日(金) 18:30〜
糸崎さんの言葉

そもそもの、ぼくの「反ー反写真」シリーズを撮り始めたきっかけは、山方さんとの関係にあります。

ぼくがフォトモやツギラマなど、特殊な写真技法を使って表現することの理由のひとつに、モノクロスナップなどのいわゆる「写真」の良さが自分には分からない、と言うことがありました。

「分からない」というのは「嫌い」ということなのですが(笑)、しかしある時ふと、自分の嫌いなものを好きになろう、写真の良さを理解してみよう、という気になったのです。
きっかけのひとつが、アップフィールドで展示されてた山方さんのモノクロ写真で、ぼくが「こういう写真の良さを理解したいし、自分でも撮ってみたい」と山方さんに言ったら「糸崎さんには絶対無理!」と言われ、かえってやる気が出て「こうなったら山方さんの真似を徹底的にやろう」と始めて現在に至るのです(笑)
ぼくの「反ー反写真」は、写真に対しいわば素直ではない反抗的な態度でもあって、山方さんをはじめ写真関係の方々の反応も複雑のようです。
「反ー反写真」とは、糸崎公朗という「まっとうな写真家ではないアーティスト」による、意図的に迎合した「ニセモノ写真」であって、そんなものを見せられてもたいていの写真家は困るわけです。
しかし「ニセモノ」というのは認識の基本でして、人間は自分の姿を鏡に映った「ニセモノの像」によって認識します。また「自分は何者か?」と言う問いかけも自分一人では埒が明かず、他人のリアクションを鏡の反射のように捉え、自己認識するのが人間です。
人間の大きな特徴のひとつは、「自分の姿は自分には見えない」ことです。
ですから自分を認識するには、鏡像や他人のリアクションなどの「反射」を捉える必要があるのです。

そしてぼくの「反ー反写真」が「ニセモノ写真」だとすれば、それは写真家のみなさんにとっての「鏡像」としてありうるのではないかと思うのです。
ぼくの方としても「写真とは何か?」を知るために、写真家のみなさんのリアクションを得る必要があるわけで、そのために「鏡像としての反ー反写真」を制作した、と言うことができます。
しかしそもそも、鏡像は1回の反射で左右逆像ですが、写真はそれをもう1回反射させ正像に戻します。
それはネガとポジの関係も同じで、1回の反射で得られたネガは写真とは認識されませんから、もう1回反射させポジに戻すわけです。つまりそう考えると、全ての写真は実は2回反射させた「反ー反写真」であるのです(笑)
写真とは、鏡に鏡を反射させた二重像であり、そのようにして「自分」や「世界」を認識するためのツールでもあります。
人は自分を直接認識できず、鏡に自分を反射させて認識しますが、さらにもう一回反射させた「写真」の方が、より良く認識できることもあるのです。
それは「世界」に対しても同じで、自分で直接見るよりも「写真」を通した方がより良く認識できることがあるのです。
一般的に、認識対象からある程度距離を置いた方が、より良く認識できると言われてます。
認識対象にあまりに接近してると、思い入れが強すぎたりして、客観的な認識が出来ません。
ですから、対象物の間に鏡や写真などを挟んで、間接的に物事を認識することは実に大切なのです。
それは「自分で判断する前に、他人に相談する」と言うことも同じであって、「他人の意見」を挟んで物事を間接的に判断しようとする態度なのです。
しかしぼくの見たところでは、どうも写真家の方々の多くは、「写真」という対象に接近しすぎているように思えてしまうのです。
それはぼくの方も同じであって、「フォトモ」や「ツギラマ」など自分独自の表現に接近しすぎて、それを客観的に捉えることが出来ない状態に、あるように思います。
ですからまぁ、そういう感じで意見交換会をやってみたいと思った次第です。