Shin Yamagata

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7月18日




原付のタイヤを交換してもらっている間、携帯音楽プレーヤーについているカメラを持ってバイク屋のまわりを歩いた。晴れていて気温も高く、立ち止まると汗が噴出してきて、蝉がないている。いよいよアブラゼミだ。自転車に乗れるようになったら自転車に乗れなかった能力が失われる、ということとフレーミングについて考えていた。以前、自分がどのように外界を見ていたのか、ということを考えるというか思い出そうとするのだけど、もうよくわからない。言葉でざっくりと言ってしまえば、外界にあるもののなかで意味としてわかっているものを見ていた、ということなのかもしれない。ひまわりが咲いているなあとか百日紅のピンクはショッキングだとか自動車学校の車だから助手席に座っているあの生徒のような男が先生で先生のような男が生徒か、とか。でもそんなことは今でも変わらず同じように見ていると思うのだけど、そこに別の何かが加わっている。それは意味としてわかっていること以外のことも同時に見ようとしているというか見ている。同時ではない。一挙に、と言った方が近いような気がする。カメラを持つ以前のように外界を見ることができるのか、と言われればできるような気もするけど、実際にはできていないような気がする。もしかすると自転車に乗れないという能力を失ったように何かを失っているのかもしれない。けどよくわからない。この状態を何年か続けていればまた何かが失われ、何かを得ることがあるのだろうか。それが経験を積み重ねるというものだ。