Shin Yamagata

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写真展




写真展も終わったので久しぶりに近所を歩いてみたら、あちこちにある葉っぱの分量が増えすぎていてびっくりしてしまった。
そして写真展を見てきた。
金村修 『 チャイナ・ホワイト 』ZEIT-FOTO SALON(http://www.zeit-foto.com/index.html
箱山直子『New Gardens』表参道画廊(http://www.omotesando-garo.com/link.09/hakoyama.html
榎本千賀子『AX 』MUSEE F(http://www.omotesando-garo.com/museef/MF.html
榎本さんの写真は少し変化していた。その変化はなんとなく腑に落ちる感じだった。
以下は展示会場にあった榎本さんのテキストです。

人がつくり、人が暮らす空間を、理解や把握とは違う方法で捉えたい。

人が空間を認識し、変化させるひとつの方法、また逆に、空間や時間が人へ影響を与える仕方、さらに多くの人々が肩を寄せ合って暮らす都市の状況。そうした諸々のことが複雑に重なりあいながら今まさに進行して行く、その現場のひとつに、私は写真を通じて触れたい。

対象の秘密を解き明かしたいのではないし、対象を見慣れた状況の1つとして、あたたかさにくつろぎたいのではない。むしろ、対象の不可解さや、対象までのはるかな距離に触れて、絶句してみたい。

この展覧会の予定を立て始める少し前、リーマンブラザーズが倒産し、100年に1度と言われる経済危機が顕在化した。それからしばらく私は、株価や為替や資源の価値の変動を示すチャートをインターネットで眺めることを毎晩の日課とした。

刻々と変化する線の描く軌跡と、移り変わる数字は、おそらく現在私達が暮らす世界をある側面から一定明瞭に映し出す映像であるのだろうと思った。資本主義経済の中に生きる私達は、価値によって世界を計るのであり、しかもその価値は否応無しに変化する、そういう世界に暮らしている。PCの中で揺れ動くこれらの映像は、そうした世界のひとつの極限的な風景と言えるだろう。

その風景を賞賛するつもりも、異議を唱えようなどという気もない。ただ、世界が価値で計られてゆきながら変化してゆくことを教えるその風景によって、対象の物理的な変化が、いやましに目につくようになっていった気がする。またそうした風景を見ていた反動なのか分からないが、あらゆるものを網羅してゆく価値の体系に容易には組み入れられないものを、意識的にしろ無意識にしろ、望むにしろ望まないにしろ、人が大量に生み出している、その様をもっと直接見たいと思った。

以前あるクレジット・カード会社がPricelessという言葉を使ってCMを流していた。その言葉はほとんど「素晴らしい」という意味で使われていた。しかし、むしろ価値の体系に組み入れられないものの多くは、不可解なものであるだろうし、見過ごされるようなものであるだろうし、つまらないものでさえあるだろう。私はそういうものが、変化の流れに曝される様を、もっと見たい。そして幸いにして写真は、撮影者にも捉えられないそれらを、拾い上げる可能性を持っていると思う。

私は写真を信頼しすぎているのだろうか?しかし、賢いと言われる人々が作り出し、莫大な利益と損失を生み出した金融工学だって、リスクを扱う一種の賭ではなかっただろうか?ならば私も、写真において賭けをしてみても良いのではないだろうか。

2009年6月1日
榎本千賀子

榎本さんの展示は6月6日まで。