Shin Yamagata

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病みあがりは外界が新鮮に見えたりするので良い写真が撮れるかもしれないというのもあったし、この日は東京都写真美術館が無料というのもあったし、うんこがもれそうな状況も収束しつつあったので、外出してまずは渋谷へ出て写真を撮ることにした。渋谷は何年か前はよく来て写真を撮っていた場所だったので、あの辺に行けば日が当たっている、というのをなんとなく覚えていてその覚えている日の当たっている場所でしばらく写真を撮っていた。少しフラフラするような感じもあったのであまり歩き回らずに狭い範囲を行ったり来たりしながら思っていたより混み合っている渋谷で一時間と少しくらい写真を撮って、歩いて恵比寿へ向かおうとしたけど光の向きがよくないのとまだあまり歩かない方がいいような気がしたからやっぱり電車で、と思い直して山手線に乗った。
都写美は想像通り混んでいた。それに写真をじっくり見るような体の状態でもなかったので、人の隙間から展示してある写真を見ていた。ブレッソンのコンタクトプリントも展示してあって、それは人の隙間からだと何かよくわからなかったのできちんと見ておこうと思ったけど、コンタクトプリントは一人一人時間をかけてみているようで少し行列が出来はじめていた。並ぶのは嫌だったからちょっとした隙間があるとそこへ割り込んでサッと見てその行列から離脱して、またどこかにちょっとした隙間が空くとサッと割り込んでというのを繰り返して五枚くらいは見ただろうか。同じ場所をほんの少しだけカメラの位置を変えて何枚も写真を撮っていたりする。そういう撮り方はやっぱり意識が構図に向かっているからだと思う。「あ、この木は画面からはずしておこう」とか「地面の模様がおもしろいからもうちょっと地面の分量を増やそう」とかそういう意識がコンタクトシートから見えてくる。僕自身もそういうことをしたりするけど、そういうのは大抵よくない場合が多い。もしくは最初に撮った写真がやっぱり一番よかったりする。あーだこーだと考えながらシャッターを押し始めている時にはもう何かは過ぎ去っているのだろう。稀にそれでもおもしろい写真も撮れたりするから写真はよくわからないのだけれど。とにかくブレッソンのようなコンタクトプリントになってしまうような撮り方だとすぐに限界がきてしまうような気がするから、ブレッソンのようにならないように気をつけようと思った。でもあんなのを人の十倍くらいの量を撮っていたらまた話は違ってくるのだろうけど。