Shin Yamagata

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綿




髪を切りに行った。幅が1メートルにも満たないような入り口の周りには手書きの看板のようなものがいくつか貼られていた。薄い紙に書かれたものやダンボールに書かれたものが貼り付けてある。字はきれいではない。きれいではないし、丁寧にも書かれていない。貼り付け方も書かれ方もいい加減で、お客を呼ぶ気があるのかどうかよくわからない。
入り口はすぐに階段になっていて、その店は2階にあるらしい。階段は暗いし、きれいではない。扉をあけると扉の上部に取り付けてあった何かがガラゴロコンと濁音交じりの音をたてた。その音は喫茶店か何かの扉をあけた時に聞こえてくるクリアな音とはまるっきり違っていた。しかしお客が来たことを知らせる役目は十分に果たしているようで、しゃがみ込んでいたおばさんが、「いらっしゃいませ」と顔を上げて立ち上がった。
他のお客は誰もいない。「カードありますか」「ありません」「ではどうぞ」と鏡の前の椅子に通された。「えーと、荷物はどこへ置けばいいですか?」「あ、じゃー、その鏡の前へ」。鞄を置いて座ろうとすると「上着をお預かり致します」。上着だけは預かってくれるのかと思いながら脱いでおばさんに手渡す。鏡の前の椅子に座ると「髪を洗いますのでこちらへどうぞ」とシャンプー台のほうへ案内される。鏡の前の椅子に座る必要はなかったなと思いながら移動する。
シートがゆっくりと後ろに倒れ顔の上にタオルのようなものを乗せられた。いい匂いではない。それから耳に何か詰められた。綿かティッシュをまるめたもののどちらかだろうと思うけど、何かはわからなかった。耳に水が入るのを防ぐためだろうけど、こういうことをする店は初めてだったのでびっくりしたし、気持ち悪かった。髪を洗い終わった時にこの耳に入れられたものも取り外されるだろうから、その時に何が詰められていたのか確認してやろうと髪を洗われている間中思っていたのに、シートが起き上がる段になったときにはもう耳には何も入っていなかった。いつの間に耳から抜き取ったのかわからなかったし、もしかしたらはじめから何も詰めていなかったのかもしれないと思い始めていた。けれど、あの感触は間違いなく何かを詰めていた。そう思うのだけれど自信がなくなってくる。いったいどのタイミングで耳に詰めたものを抜き取ったのかまるでわからなかったし、そんな隙はなかったように思う。この店に入ったときはこの店にはもうこないでおこうと思ったけど、この耳の詰め物の確認のためにとりあえずもう一度はこの店に来ようとその時に思っていた。
シャンプー台から鏡の前の席に移動する時に肩をすくめて歩いていたみたいで「寒いですか?」と聞かれた。聞かれて気付いたけど寒かった。「寒いですね〜」と言うと暖房のスイッチを入れてくれた。髪を切り終わってもう一度頭をゆすいで、ドライヤーをかけているときにようやく部屋があったまってきたような気がした。髪を切っている間、一言もしゃべりかけられなかったのがよかった。