Shin Yamagata

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11月17日




アプリ(写真に関する)というのをはじめてダウンロードする。多くの人がフェイスブックなどにアップしている少し加工した写真はこういうので作られるのかとわかった。これを使うと写真が少しよく見えてしまう。けれどそれは写真がよく見えているわけではないのではないか。加工された写真を見るとき、本当に写真を見ているのか?その「効果」を見ているだけではないのか?それは暗室で手を入れまくって作られた写真とどこか似ているのではないか?「効果」は単独では存在できない。だから「効果」のみを見ることは不可能だ。写真とはそもそも「効果」の連なりだ。機械が介入しているのが写真だ。今や、「シャープ」だ「コントラスト」だ「色温度」だ、そんな数値をスッと上げたり下げたりするのが当たり前でそれらを無視することの方がむつかしい。普段とは少し違うように見える写真、この一点だけでアプリで加工された写真はよく見えるのか?本当によいと思っているのか?すでにアプリで加工することが当たり前になりつつある。アプリで加工したほうがよいと判断するとき、基準になっているのは「普通の写真」だ。「普通の写真」とは何だ?どいつもこいつもアプリで加工したがる。どいつもこいつもだ。アプリは万人に使用可能だ。アプリの効果はいつでも同じだ。科学の実験でいつも同じ結果が出ればとりあえずそれは「真理」となる。誰もが使え誰もが同じ効果を実感できる。だからアプリの効果に価値はないと判断されるのか。価値があると判断されるのか。アプリの効果は特別でもなんでもない、手作業に比べれば。本当にそうなのか。どいつもこいつも写真を加工したがる。撮ったままでは気が済まない、ひと手間かけてこその写真だ。今日はポラロイド風に、昨日はセピアに、明日は昔っぽく、明後日は本城直季のように、明々後日は蜷川実花のように。こんにちは、アプリさん。