Shin Yamagata

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10月24日
表参道画廊で写真展、相馬さんの写真はバンコクと東京の写真の違いがわからないほど似ていてほとんど同じだった、久しぶりに普通の写真を見た。普通の写真というのはなんていうか、表現しようなんてところから離れているのがいい。すばらしいということだ。バンコク、東京、二つを比較しやすい構成になっているからつい色々比較したくなってしまう、街の様子も人の様子も顔形も、髪型、服装、ものの売られ方、看板の様子、車や原付やバスといった乗り物、それらが走る道路、建物、などなど比較していくと、東松照明のことが頭をよぎる。写真が似ているからというわけではない。沖縄、東南アジアへと移っていく関心のことだ。そういうこととは全く別にここに写っている人間を昆虫だと思ってみればどうだろうかと考えてみた。中村綾緒の写真は、というか写真じゃなくてスライドショーというのか壁面に投影された映像は被写体がどうこうというという映像ではたぶんなくて、被写体がということになれば水面のキラキラや鳥、ということになってしまう、それでもいいのだけど、というか写真にはそれが写っているのだけど、会場に貼り付けられた言葉を読んでも被写体については何も書かれていないから(たぶんそうだったと思うけど違うかもしれない)、やっぱり被写体どうこうというわけではないのだろうと思ってしまうのだけど、やっぱり写真には何かが写ってしまうから、その写ったものそのものを見ようとしてしまって、例えばこの鳥はなんだろうか、とかあの木はなんだろうか、とか、そうすると作者の意図とずれてしまうのだろうけど、それでもわたしはついつい写っているものを見てしまいそうになるのだけど、実際見ているのだけど、映像が重なりながら次の映像へと移っていくスライドショーという形式が巧みにそれを避けさせてくれる。会場に掛けてある言葉を読んでから見るのと読まないで見るのとでは随分と印象の変わる映像だから見方は色々だ。会場に置いてあった森下大輔の写真集は森山大道に寄ってて、まさかこれは名前が二文字も一緒だからってわけじゃないよな、と思いながら、相馬さんとは対照的な被写体への関心をほとんど感じさせない写真を見て、被写体に関心のない写真というのはいったいなんだろうかと考えるとやっぱりそれは白黒の模様ということになってそうするとやっぱり一時期の森山大道に近づいてしまう。