Shin Yamagata

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4月6日
畑にしゃがみ込んでいたおばあさんは里芋をいじっていた。すんませーん、畑入らしてもろていいですか? はー、どうぞどうぞ。冬の間、シートをかけて畑の脇に置かれていた里芋を今年植えるものと食べるものに分けているらしい。あんたんとこも農家け? いや、うちはちゃいますわ。パキ、パキといくつも連なった里芋を分けていく。土のにおいがあたり一面に広がっている。そっちの小さい方植えるんですか? そや、ほらこれ見てみ、この白いのが芽や、でもあかんな、結構腐っとる。少し写真を撮ってからまたおばあさんのところへ戻り、鹿やうさぎに畑が荒らされること、猿は上の畑にはくるけどここの畑にはなぜかこないこと、けものの

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2月3日
夜中のスーパーに立ち寄った。節分の恵方巻きが半額になって大量に売れ残っている。半額になって300円前後だ。長くて太いのも短くて細いのも、様々な種類が売られている。いつも一本100円で売られている巻き寿司が3本入り、恵方巻きと名前を変えて並んでいる。それが半額になって300円。中身が多少違っていたとしてもこれは節分という名を借りて便乗値上げしたものを半額にしていつもと同じ値段で売っているだけのことではないかと思うのだけどどうなのだろうか。しかしながら、世間のイベントに乗っかり楽しむというのは、こういうことにお金を使うことなのかもしれず、したがって、

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6月6日
家を出るときには雨が降りはじめていた。ホームへの階段を降りているところに電車がちょうどすべりこんできた。急いで階段を降りて、扉が閉まる直前まで電車の進行方向に向かって歩いていく。昼間の電車は空いている。一番端っこに座って本を開いた。目的地まで十五分ほど。少しだけでも読み進めておこう。待ち合わせ場所になっている西口へ向かうとすでに二人は到着していた。もう一人は少し遅れてやってきて、あと一人はもうすでに現地にいるということだった。傘をさして歩いていく。ビルに入るとすでに到着していた女の姿が奥に見えた。目が合ったのにそのまま奥へと進んでいく。しばらくすると姿が見えるところまで引き返してきて、またこちらをちらっと見た。女に近づいていく間にさらに何度か目が合っているのに、挨拶らしいしぐさがない。こちらが手をあげても遠くを見るような目つきでこちらを見ている。何かやばいクスリでもやっているのだろうか、それとも人違いなのか、

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5月28日
湊さんの展示というか写真集販売会場に行った(森岡書店銀座店)。たくさんの人がいてゆっくりとは写真を見ることができない。昨日の豊田さんのプリントと目の前の湊さんのハッセル(フィルム)で撮影された白黒写真を頭の中で比較してしまう。それにしても二日連続で写真を見るために行動するなんて、写真を必死にやっていた頃のようで、そんな二十代の頃の自分を抱きしめてやりたい、そんな歯の浮くような言葉は、昨日も豊田さんの会場で会った榎本さんと榎本さんの旦那さんが、昨日はすぐに帰ったけれど、今日は一緒に飲みに行って、その場で話題になったワードの一つで、まさかわたしがそんなことを言うはずもない。たくさんの人たちが座る長いテーブルから離れた四人席に田山さんも加えた四人で座った。少し離れた方がゆっくり落ち着いて話ができる。写真以外の話をたくさんする。写真の話もする。最近おもしろい写真ある? なんて聞いても、あるある! という返事は返ってこない。お互いそうだ。ジャーナリストにかぶれたような、というか、社会問題というか、社会との接点がいとも簡単に説明できる写真が、

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5月27日
豊田さんの写真展に行った(http://www.omotesando-garo.com/link.19/toyoda.html)。ライカモノクロームで撮影された写真のプリントをはじめてみた。中判(フィルム)で撮影されたのかと思うくらいに写っている。でもフィルムとは違う質感が、フィルムで撮影された白黒写真を見慣れた目には気持ち悪い。写真に写っているものよりもそちらの話で盛り上がる。遠景の山までぴっしり写っている。フィルムだと遠景の山はもっと粒状感が出て、その粒状感が「遠いなぁ~」という物理的な距離を感じさせたりもするのだけど、近景と同じようにぴっしりと写っていて、そのことが気持ち悪く感じてしまう。だけど、それは「慣れ」の問題で、本当は両方ともぴっしりと見えている方が肉眼に近いのかもしれない。豊田さんは、フィルムなら出るはずの中間が出ない、と嘆いていた。明部と暗部の中間のトーンがない、と。やっている人間にとってのこだわりなんてものは簡単にみえるものではない。言われても、中間ね~、という感じで最初はよくわからなかった。とにかく写真に写っていることの話よりもこういった話(と他人の悪口)が多くなってしまった。それくらいこのデジカメのプリントが気になったということだ(驚くほどきれい)。しかし、慣れの問題は大きい。こういうプリントに慣れないと、写っているものの話になかなか入っていけないのは問題で、今は、もっと写真に写っている場所の話を聞けばよかったと思っている(他人の悪口はほどほどに)。

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1月27日
今日はもう一日中部屋の中で過ごすのかもしれないと思っていたのだけど、夜に外へ出た。猛烈に寒い。上着の上に上着を着ているのだから上半身は比較的平気なのだけど、下半身がダメだ。ズボンの下にタイツをはいているもののすでに太ももが冷たくなってきている。上半身は何枚も重ね着をするのに、下半身は身につけたとしても二枚というのはどういうことなのだろうかと考えて、縄文時代のイラストを思い出した。あのイラストも、上半身は毛皮をまとっているのに、下半身はむき出しだった気がする、もしかして、あのころから下半身は無防備だったのか、だけど、縄文時代なんて文字がないのだから、はっきりとした服装なんてわかっていないのではないか、あれはただの想像なのではないか、いや、どうなのだろうか、何か発掘されているのだろうか、弥生人はズボンみたいなのをはいているイラストが