Shin Yamagata

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10月4日
百日紅のピンクの花が地面に散らばっていた。昨夜、眠ってから風が吹きはじめたらしく、その物音で目が覚めて、その音が雨の音だとわかって、雨の音を聞いているからきっとこれからはぐっすりと眠れるはずだと思いながら寝て、それ以降、物音でときどき目が覚めていた気がするから、起きたときに、今日はなんとなく寝不足だと思っていて、そのはっきりとしない頭のままピンクの花びらを見たからか、風が強かったことと花びらが落ちていることがまったく結びつかず、百日紅が咲いているのに金木犀のにおいがしてきそうだけどしてこない、などと思っていて、終わりそうで終わらなくていつまでもだらだらと続く夏が

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11月10日
座席がないところに無理やり座席を設けたような車の狭い助手席に座っていた。右手にはコンパクトカメラが握られていた。だんだん歩道を歩く人が増えてきて、増えて増えてどんどん増えてきて、あるところを境にその人たちは群衆と呼ばれる塊となった。日曜日。よく晴れていた。のちの報道で知ることになる11万人以上の人たちが沿道を埋めていた。道路脇のあちこちには紺色の制服を着た警官が立っていた。その警官や歩道を歩く人にカメラを向けた。わたしが乗車した車は警官の指示に従い、どの車も曲がらない道へとハンドルを切った。そこを曲がる許可を得ているようだった。少し進むと、道路は数台の警察車両によって塞がれ、先へ進むことができなくなっていた。並んで警備していた警官の一人がとまれという合図を出した。わたしの目的地はもう目と鼻の先だった。別の警官が護送車のような大きな車に乗り込み、ゆっくりと道をあけてくれる。どうぞ、というよりも、通れ、という感じの指示を出す警官にコンパクトカメラを向けると、

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3月25日
撮影を終えて、三脚を担いで原付まで戻ろうと車道を歩いていると、前からねずみ色の乗用車がのろのろと近づいてきた。ずいぶんゆっくり走っているなと思ったら真横でとまった。なんだろう、道でも聞きたいのだろうか、この辺りの道ならわからなくもないけど、行くか戻るかの一本道で聞くほどの道でもない。ウイーンと窓が開いて知らないおじいさんが窓からぬっと顔を突き出した。よぼよぼのおじいさんだ。「こないだは、おおきに」そう言ったおじいさんに前歯はなかった。一瞬、間があいたものの「いえいえ、どもども」と返事をして頭を下げた。おじいさんもぺこっと頭を下げて、車はまたのろのろと走り出した。去っていく車を見ながら、おじいさんの目がただ悪いだけなのか、それともおじいさんの頭の中が少しぼやけているのか、あるいはわたしに似ている誰かがこのあたりの集落に住んでいてその人と勘違いしたのか、もしわたしに似ている誰かがこのあたりに住んでいるのであれば、その人はどんな生活をしているのか、役場で働いているのか、山の仕事をしているのか、都市部ではただの中年であってもこのあたりでは若手の部類に入る年齢なのだろうから、村の中のあれやこれやを

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3月15日
四捨五入すれば四十歳になる女の誕生会。女二人はまずはいちご狩りへと向かった。東京に比べて背の低い埼玉の風景、これを武蔵野の名残と呼ぶべきなのか、が広がったと思ったら、やや都会的な、というか、地方都市的な風景が一瞬広がり、そしてまた平べったい風景が広がったと思ったら、もう練乳をかけて真っ赤ないちごを頬張っていた。いちごで小腹を満たした二人は再び都心へ舞い戻り、コロナウィルスも気にせず映画館へ。今話題のパラサイト。やっぱりいちごなどで腹は満たされぬ、映画を観たあと、女二人は肉食系だと、ガオゥ、ライオンのような咆哮を腹の底から噴き出しながら焼肉屋に突進した。たらふく肉を食ったあと、二人は油で唇をヌラヌラとテカらせたまま職場の近くの飲み屋へ吸い込まれていった。飲んでいるうちに、その小さな店で飲み食いしていた一団に一体感のようなものが生まれてきて、客も従業員も大きなうねりとなって楽しさ倍増。ウッキャキャ。そのまま気のあった得体の知れない男どもとさらにもう一軒。そこから記憶がなくなった。あとで聞いた話によれば、風呂から出てこない女を覗き見た男が、死んでいる! と叫び声をあげて、女の乳房や陰部に目がいく余裕を

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3月8日
近くのりんごの木の花が咲いて満開になった。横を通ると、甘い香りが漂っている。モクレンも開いてすでに散りそうになっている。だけど、今日は冷たい雨が降っていた。自転車屋に寄ってから商店街を歩いてドラッグストアを目指した。相変わらず、紙類が売り切れている。どこか別の海外の国でもトイレットペーパーが売り切れているというニュースを見た。どこもかしこも同じなのか。この商店街唯一のケーキ屋を覗いた。夕方だからか、それともいつもこうなのか、ケーキがぽつぽつと点在するガラスケースがなんとなくさびしい。いかにも昭和といった、一昔前の洋菓子店だ。重たいドアを押し開け店に入った。店員はいない。出てきもしない。奥のガラス窓の向こうに白い帽子をかぶった小さなおじさんがいた。手元を見ていてこちらにはまったく気がつかない。仕込みの最中なのだろうか。すいませーん。出した声が小さかったのかもしれない。おじさんは黙々と作業を進めている。すいませーん。ガラスの向こうだから聞こえないのかもしれない。おじさんの顔は上がらない。すいませーん。こんな閉ざされた空間だからとあなどる気持ちがまだ声を小さくさせているのかもしれない。おじさんの方に足を進めていく。すいませーん。