Shin Yamagata

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8月3日
高架になっているバイパスを原付で走っていた。名古屋かその手前くらいまで来たところで明らかに雲行きが怪しくなってきた、というか、少し先の風景の霞み具合は確実に雨が降っていた。バイパスを降りるところはないし、とまれそうにもないと思っている間にパラパラとヘルメットのシールドに雨が当たりはじめた。一瞬でびしょ濡れになって高速道路の下に入れた。暑かったからちょうどよかった。それにすぐに乾くし、と思ってそのまま走った。雨の範囲は狭くて高速道路の下から抜けたときには晴れていた。木曽川にかかる橋で大きなトラックがうしろにぴったりとくっついた。どういうつもりでそんなに車間を詰めてくるのかわからなかった。右車線に移ってスピードを上げた。ついてはこなかった。四日市は渋滞していた。大型のトラックばかりでトラックから出る熱に取り囲まれて苦しかった。鈴鹿に入る頃には道は空きはじめていた。右に曲がってまだ作りかけのバイパスを





3月11日
いつも通る道から一本逸れた道を通ると、梅の木がずらっと並んでいて白い花をたくさん咲かせていた。ここに梅の木があることをすっかり忘れていた。夜でも白い花はよく見えるし、梅の香りも漂っていた。昼間よりも香りが強いような気がするのは、周りが暗くてよく見えない分、鼻に神経が集中しているからなのかもしれなかった。そもそも、夜には蝶も蜂も飛んでいないのだから、梅は香りを出す必要がない。明るいうちにどんどん香りを出して蝶や蜂を引きつけた方がいいに決まってると思ったのだけど、夜に来る昆虫もいるのかもしれなかった。その前に、蝶や蜂は香りで花に近づいているのだろうか。花に色があるのは視覚で引きつけるためだったような気がするし、花の形が葉と違うのも同じ理由なような気がするし、無意味に香りを発しているわけはないだろうからやっぱり受粉のためなんだろうとは思うのだけど、全部がはっきりとせずあやふやだった。ひとまず、梅の花に近づいて、夜に集まってきている昆虫がいないかどうか探してみることにした。観察だ。写真の基本も観察だと思っているのだけど、そう思っている人はあまりいないようで、愛だとか社会問題だとか、その周辺の言葉とくっつきやすい写真は




2月20日
予約していたMRIの撮影の日だった。先週の診察後にどんどん肩の痛みが取れてしまい、もう撮影の必要はないのではないかと思ったのだけど、痛くなくなったからいいってもんじゃないんだよ、他の病気が潜んでる可能性もあるんだから、と言われ、すぐさま撮影に移行した。ベッドに横になりながら、あんなことを言ってたけど手っ取り早く金を稼ぎたいだけの医者なんじゃないかと思いたくなったのだけど、ゴム紐のようなもので体を巻かれてる間に体の方に神経がいってしまって、そのことについてはもう考えなくなってしまった。動くとブレますからね、と係の人が言った。ブレるということはシャッタースピードがあるということなのだろうか、と今度は考え出すのだけど、タオルなどでさらに肩を固定され、拘束具でベッドに縛り付けられてこれから拷問を受けるような、そんなわけはないのだけどなんとなく嫌な気持ちになって、またシャッタースピードのことも忘れてしまった。そういえば、閉所恐怖症の人は、と説明書きがあったことを思い出したのだけど、もし何かあればこれを押してくださいね、と紐につながったボタンのようなものを渡されて、これはテレビで見たことがある、怪我をした主人公でではない人が看護師に「何かあればこれを押してください」と言われるのだけど、押す前に誰かに襲われて、みたいな、などと考えている間に、係の人が部屋から出ていった。ベッドが動いたのか頭上の機械が動いたのか、呼吸による体の上下で写真はブレたりしないんだろうかと思って




12月8日
銀座の歩行者天国を歩いているとマイクを持った若い女の人が声をかけてきた。TBSのなんとかです、と聞こえたから、ラジオですか? と聞くとテレビだという。インタビューいいでしょうか、若い女の人にニコニコと聞かれたのだけど、断った。テレビだというのだからカメラがあってもよさそうなのにカメラが見当たらなかった。もしかしたら見えていなかっただけで、すぐ横にいたのかもしれないけど、新しい詐欺の手口なのかもしれなかった。でも女の人が持っていたマイクの丸い部分の下には何かがくっついていて、たぶんそこに番組名か何か書いてあったのだろうけど、そこまでは見ていなかったし、女の人の顔ももう覚えていなかった。アナウンサーというよりもADさんという感じがしたのだけど、実際にはどうだかわからない。とにかくすぐに通り過ぎた。京橋方面に向かって歩いていた。順光だからカメラを持って歩いているうちに京橋を過ぎて目当ての高島屋に着いた。阿房列車を読んでいると、大手饅頭、というのが何度か出てくる。それがどうしても食べたくなってここまできた。岡山の饅頭がこの東京の高島屋で買えるらしい。表の通りはそれほどでもないのに、高島屋に入ると人でごったがえしていた。大理石の中のアンモナイトの化石を見ながらエスカレーターで地下におりていく。エスカレーターを降りたと






10月11日
なことを考えていなかったと思う。そのうちに、なんとなく「評価」を意識しはじめる。学芸員とか評論家に「評価」されることが自分自身の「ステージ」を上げていく、とどこかある時点でそう思ってしまった、のかもしれない。学芸員や評論家を「権威」あるいは「権力」とみなし、その傘の下に入りたい、権力の犬に成り下がりたい、認められたい、評価されたい、俺はわたしはお前らとは違うんだ、自分自身と学芸員や評論家を一体化させることによってわたしはえらくなる! とは思っていないかもしれない。学校の先生にほめられたい、そんな学校文化の延長のまま生きている、というわけでもないのかもしれない。その一方で、学芸員や評論家はバカだ、という人がいる。学芸員や評論家なんて写真も撮らないくせに、撮ったこともないくせに、写真の何がわかるというのか、ちょっと勉強ができるからって、言葉の扱いに慣れているからって、哲学や社会情勢をちりばめたクソつまんねぇ雑文書き散らしやがって、だからといって、ヤンキーのように振舞っているということでもなくて、