Shin Yamagata

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糸崎さん(http://itozaki.fc2web.com)の展示を見に行ったのは確か、5月のどこかだったか。フォトモの展示だった。最近のものより、過去に手作業で作ったものの方が圧倒的におもしろかった、というようなことを書いた気がする。展示のことよりも糸崎さんが連載していた、カメラを改造したりする連載が終わってしまうことが残念だ、みたいなことに分量を割いて書いたはずだ。そういう話を聞いたからだった。あの連載は良かった。写真の根っこを常に問い続ける連載だった。写真に内面や感情が写るのか、みたいな、未だに問い続けられている、ほとんど意味のない問いを真っ向から無視する素晴らしい連載だった。カメラやレンズを改造、あるいは自作し、まだ見ぬ映像を提供し続けた貴重な連載だった。写真とはカメラやレンズといった機械が写すものだ、光学的な現象なのだ、この写真の基本中の基本を徹底的にやり抜こうとした姿勢は見事だった。この連載が終わることで、まだまだ世の中にくすぶり続けている、写真に内面や感情が写るのか、というような、全く意味のない、問いが活発になることが懸念される。残念だ。昨今、写真に過剰な意味を与え、あーでもないこーでもないと言いたがる、どんだけ写真にいろんなものを背負わせれば気が済むんだ、と言いたくなるような写真が溢れる中で、どんな写真が撮れるだろうか、どんな風に写ってしまうのだろうか、そんな好奇心むき出しのあの連載が終わってしまったのはこの世の損失だといっても過言ではない。様々なレンズから繰り出される見たことのない映像を提供し続けたあの連載、これからも未知なる映像を提供し続けたであろうあの連載、写真のこれからの可能性を示し続けたあの連載が終わるのだ、残念で仕方がない。書き直すと随分と大げさになってしまったが、確かこのようなことを書いたのではないだろうか。