Shin Yamagata

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吉村朗




吉村さんが死んでしまった。というのをフェイスブックで知った。びっくりした。信じられなかった。なんで死んでしまったのかはわからない。詳しいことはよくわからない。死んでしまったということだけがわかった。わかったというか、フェイスブックで知った。そのことを知ってから吉村さんのことを思い出した。酔っ払ってベロベロになっている吉村さんがまず頭に浮かんだ。それからよくメールが届いていたことも思い出した。ユーチューブのリンクが貼り付けてあり、それは戦争に関するものだったり、何かの映画のものだったりして、写真が添付されていたこともあった。その写真の中には高校生の吉村さんが柔道着を着ている姿が写っているものもあった。そういうことを思い出すとおかしくて笑えてきてしまう。思い出している瞬間は笑えてくるけど、それは死んでしまったということを前提に思い出して笑っているのか、それとも吉村さんが生きていたときにそのことを思い出しても笑えるのか、やっぱり生きていても笑えることに間違いはないのだけれど、でもその笑えてくる感じはいつもと少し違うような気もする。それはやっぱり死んでしまったからなのか。
吉村さんが東京から九州へ引っ越すときに本を数冊もらった。その時、今もだけど、小説ばかり読んでいて、吉村さんに、もう写真の本とか読まなくなりました。おもしろくないんです、というようなことを話していたから小説も何冊かもらった。その中には筒井康隆の、言葉がどんどんなくなっていく「残像に口紅を」という小説があった。他にもらった小説が何だったのか覚えてないけどこの小説だけは覚えている。読んで、「こんなんやったもん勝ちやし、それをこんな風にできる力はすごいもんやなー」と、こんな風だったかどうかは覚えていないけど、だいたいそんなようなことを思った。もらった写真集の中にはマーチンパーの「THE LAST RESORT」もあった。その写真集を今見て、吉村さんのカラーのストリートスナップの写真を思い出す。
吉村さんはトークショーだったか、普段しゃべっているときだったか、いつだったかもう覚えていないけど、「新しいことをやりたい。」と言ったかどうか言葉は正確ではないかもしれないけど、とにかくそのようなことを言った。「新しいことをやりたい」と言うような人はたくさんいる。そんな言葉は聞き飽きているし、そんなことを言われても信用できない。そんな言葉を言う奴がいたら目を細めて「勝手に言うとけ」と心の中で思っていたりする。吉村さんからその言葉が出てきたとき、「あっ」って思った。「ほー」だったかもしれない。言葉は人を選ぶと言ったのか、そんな言葉はあったのか、吉村さんから聞く「新しいことをやりたい。」は違うなーって思った。
ほんとうに「新しいこと」は理解されにくい。「新しい」から。当たり前の話だ。すぐに理解できたり簡単に共感を呼ぶようなものはすでにだいたいわかっているようなことだ。「新しいこと」を理解するには時間がかかる。なんでもかんでもお手軽に、というような時代と「新しいこと」は逆行しているのではないか。「新しいこと」を受け入れる余裕のある人間がどれほどいるのか。「便利なこと」を受け入れる人間はたくさんいるけど。自分だってそうだけど。
とにかく、吉村さんが死んでしまった。だからしばらく吉村さんのことを思い出したりしてしまうだろうと思う。でも時間が経てば思い出すことも少なくなると思う。それでも「SPIN」は本棚に入っているし、もらった本も本棚に入っている。その本はぼくが生きていればいつでも見ることができる。
(写真は吉村さんが撮ってメールで送りつけてきたぼくの足。少し写っているのは吉村さんの足かも)