Shin Yamagata

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8月9日
アブラゼミは茶色い。茶色いというイメージしかない。ジージーという鳴き声もなんとなくぱっとしないし、捕まえてもあまりうれしくないセミだった。民家の軒下に入ったときだった。どこにいたのか、バタバタと大きな羽音を立てて飛び立ったアブラゼミが体に二、三度ぶつかってきてそのまま仰向けになって地面にひっくり返った。死ぬほど驚いた。ひっくり返るとおとなしくなって動かなくなったアブラゼミはそっと近づけた人差し指にやさしくしがみついた。そのまま目の前までゆっくり持ち上げる。アブラゼミの羽の模様をじっくりと眺めた。あの羽化したての白っぽい緑色、あの美しい色が茶色い羽の中にわずかに残っていることに気が付いた。羽の

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8月29日
対岸の斜面にへばりついている集落を眺めながら、このあたり唯一の自動販売機で買った缶コーヒーを飲んでいた。一台の軽トラがすぐ横でとまり、眼鏡をかけたおばさんが下りてきた。どこからきましたん? だいたいいつもこんな感じで会話がはじまる。こんなとこなんもありませんやろ。そんなことはないです。と答えるのだけど、その先はどう言っていいのかいつもわからない。どういう写真を撮っているのか、写真を見せないまま説明したところで何がどう伝わるのかわからない。写真を見てもらっても何が伝わるのかはわからないのだから、とりあえず何か言えばいいのかもしれないのだけど、なんとなくそれ以上何も言わない。きれいなとこです。それくらいのことしかいつも言わない。おばさんは話しながら自動販売機の横に置かれた黄色い蓋の付いた木箱を開けた。なんだろうかと思っているとそこから新聞を一部取り出した。どういうことだろうか。このあたりは新聞配達というものがなく、契約している人たちがこの箱まで新聞を取りに来るシステムになっているということなのか、それとも、

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9月6日
自転車に乗って踏切を渡る。この道を通るのは久しぶりだ。踏切を渡った目の前は信号のない交差点になっていて、踏切以外の道はすべて一時停止になっている。線路沿いのまっすぐな道をはじめて通る人は大抵この一時停止に気づかない。止まれという赤い三角が道路沿いにあるのだけど、見通しがいいし、線路の方なんかを見ているとつい見過ごしてしまう。その車を取り締まるためのせこいパトカーがよく隠れているけど今日はいない。停車した車の前を通り過ぎていく。もう少し進めばパンのにおいが漂ってくる。でも今日はにおいがしない。風向きなのかパン屋の定休日なのかはパン屋がどこにあるのかわからないからわからない。この時間によくすれ違う人ともすれ違う。いつも派手な服を着ているから覚えている。髪が少し伸びていて、色白のままだ。

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2月16日
ごっこ、と表示された魚が売っているけどはじめて見た。半額になって350円くらいか。3つ売れ残っている。大きさはバレーボールをひとまわり小さくしたくらいだろうか。丸くて黒っぽい。ラップの上から指で押してみるとぶよぶよしている。切り身ではなく、個体がそのまま入っているのだけど、ヒレも顔も見当たらない。そうすると、魚かどうかもわからないのに魚だと思ったのがなぜだかわからなくなる。もしかしたらほやとかなまこのようなものなのかもしれないとは思わず、やっぱり魚だと今も思っている。産地が北海道になっている。どうやって食べればいいのかわからないけど、とりあえず買おうかと思うのだけど、つんつんするだけでそれ以上手が伸びない。せめて顔だけは見たい。買うかどうかは顔次第だ。トレイを持ち上げ横から下から見てみるのだけど顔がない。ラップを破きたい。破き代として350円払うと思えばいいのかしら。

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11月24日
昨日はビルの二十五階から海を眺めた。横浜ベイブリッジが見えてその向こうに房総半島まで見渡せた。東京スカイツリーも見えたらしいが、わたしは見ていない。今日は船の上からレインボーブリッジを見上げ、赤くなった空にシルエットとなって浮かぶ富士山を見た。誰かが「富士山!」と言ったから富士山が見えた。東京から見る富士山は思っている以上にいつでも大きく見える。今日もびっくりするくらい大きく見えている。だけど広角レンズで撮影するとほんの豆粒くらいにしか写っていない。うっかりすると気付かないくらいの大きさだ。目ではあんなに巨大に見えているのに写真になるととてつもなく小さく写る。そのギャップにいつも驚かされる。ここで立ち止まり、なぜそのようなことになるのかと考えなければならない。レンズをズームして、わあ、富士山が大きく撮れました、ではいけない。しかし、人間はともかく、機械の方は日々ますます発達していくのだから仕方がないともいえる。人間が立ち止まっていた場所はこれからも減っていく。

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2月28日
いつもは向かう方向とは反対側の三駅目の駅で降りた。この駅で降りたのははじめてだった。飲食店やパン屋や花屋など、様々な店が改札を出た目の前に連なっている。駅ビルなんてないと思い込んでいたからその賑やかさにまず驚いた。南口へ出ると大きなターミナルがあり、バス停には長い行列ができている。低いビルが連なり、一階はどのビルも店舗になっている。ときどき歯が抜けたように一戸建ての古い商店が混ざる。人も多い。どこか地方都市の主要な駅前のような気がしてくる。ここは福井県です、そう思い込もうとする。北へ向かえば海だけど、ひとまずは南の山へ向かって進んでいこう。確定申告に来ただけなのに旅情が立ち上がってくる。

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6月16日
晴れているのに薄暗いのは真上に高速道路が通っているからだ。片側三車線もあるから横断歩道がやたらに長い。白人の男女、東南アジア系の団体、それから日本人っぽいけど中国人かもしれない人たちとすれ違う。全員の顔をとりあえず見た。すぐに忘れた。角を曲がり繁華街へ入っていく。チェーンの喫茶店へ入り、カウンターに並ぶ列の最後尾についた。うしろに並んだ背の高い白人女性二人が話す言葉は英語ではない。ロシア語っぽいけど、よくわからない。ホットコーヒーを受け取り、二階へ続く階段を上がっていく。混んでいて衝立のない向かい合う席しか空いていない。疲れているのだから背もたれのある椅子に座りたいのだけど、仕方がない。しばらくすると、うしろに並んでいた背の高い白人女性二人がやってきて向かいの席に座った。甘くてうまそうなものを食っている。帽子をかぶっていない方の女は頬が少しこけるくらい痩せている。モデルっぽい。その女がこちらを見返してきた。なんとなくしばらくじっと見つめ合う。