Shin Yamagata

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ブログ




ギャラリートークの時に阪根さんに写真展の時の写真とブログは全然違うと言われ、そのことに対してどう考えているのか?というような質問を受けた。ひとまず答えようとしたけど無理だと思って、結果「保留〜」ということで逃げてしまった。
この展示の会期中に「ブログ楽しみにしています」と声をかけられることが結構ある。ブログのほうがおもしろいと言ってくれる人もそこそこいる。展示の写真は全然おもしろくないけど、ブログはかなりおもしろいとはっきり言ってくれる人もいる。ブログでやっていることをもっと作品に反映させるべきだと言ってくれる人もいる。
ギャラリートークの直前にこのブログに関する話のことで知り合いの写真家に完全に論破されてしまったことがあった。論破というと大げさかもしれない。矛盾を指摘されたということだろうか。展示してある写真のことについていろいろ話していて、「感情とかそういうのベッタリ貼り付けてものを眺めたりするようなのは嫌や」、というような話の中で「擬人化してものを見るのもくだらん」、みたいな話しになったのだと思う。そうしたらすかさず「ブログで犬とかたぬき吹き出しを付けてしゃべらせているのは擬人化でしょ?」と突っ込まれて、「矛盾してますよね?」って言われて、「はい、矛盾してます。」と答えるしかなかった。その時はムカムカとムカついていたけど、返す言葉は全然思い浮かばなかった。
ブログにはこうやって文章を書いているけど、その文章に対して「推敲してないでしょ?」と言われたことがあった。その時は「スイコウってなんですか?」という質問をして、「推敲も知らないの?」ってちょっと笑われながら「パッと書いてパッと出してるでしょ?読み直したりしてないでしょ?」って言われるから、「いや、読み直してますし、1日くらい寝かせてから出すようにしてます。」と答えたら「ええ〜」って言われたりした。
一番初め、ブログをやり始めた頃は何をしていいのかよくわからなかった。何をしていいのかわからないのにブログを始めたというのはおかしくて、やっぱり何かをしたかったのだとは思う。周りからは「個人メディアだ」とかなんとかそんな声も聞こえていたから、なんの考えもなしに「個人メディアだ」と言っていたような気もする。写真展の写真はわからないとよく言われるけど、このブログの写真はおもしろいと思ってもらえるようにしようというのは少しあったかもしれない。写真展で出す写真と世の中にいっぱいあふれているような写真の中間くらいの写真を出そうかなと思っていたときもあったかもしれない。今でもそういうことは少しだけ頭の片隅にあるような気がする。でもそういうのも今となっては違うかもしれないと思ったりもする。だいたい、中間がどの辺りか自分でわかっていないような気がするし、ブログの写真が中間かといえばそうでもなくて写真展に出している写真の方にやっぱり近いような気がする。
擬人化というのも、もっときちんと定義した方がいいのじゃないかと思えてくる。感情ベッタリの擬人化とサバサバした擬人化があるのじゃないだろうか?こういう言い方をするとまた何かするどく突っ込まれて、「はい、矛盾してます」と答えなければならなくなるのかもしれない。僕はどうも「感情ベッタリ」というのに何かひっかかっているのかもしれない。だからこの「感情」っていうものをさらにもっと詳しく定義した方がいいのかもしれない。いや、これは「感情」ではなくて「感情のあり方」なのかもしれない。これは一緒に展示している坂本さんと「情緒」という言葉の使い方でいつも話が食い違うのだけど、この辺の話になってくるような気がする。突っ込み始めるとこうやって当たり前だと思っている言葉をいちいち定義しなおさなければならなくなってくる。論理的に考えるのが得意な人というのはこういうのをスパスパできてしまうのだろうけど、僕にはこういう作業をスパスパとすることができない。でも、もしかしたらこの感情とかそういうのが問題じゃないような気も少しする。このへんのことはまだ自分でもよくわかっていない。そう思う。
去年の5月からこのブログをはじめているから、今ちょうど一年が経ったくらいだと、たった今思った。一年前はブログをアップするたびに少し緊張していたけど、今はもうあまり緊張しなくなってしまった。そういえば、ブログをはじめて間もない頃に美術館で展示した時のギャラを固有名詞を丸出しで全部書いてしまって、ある人に迷惑をかけたこともあった。そこではじめてブログの恐ろしさを体験したような気がする。
「保留」なんて答えてしまったので、もう少し何か書こうと思ったけど、結局ほとんど「保留」とかわらない感じになってしまった。