六月十四日 晴 ハバロフスク
朝食まで、一人で散歩に出る。一人がいい。好きな方角に足を向け、好きなところに、好きなだけいられる。
〈写真はメモ代わりだからな。何でもかんでも写せ〉そう言っている主人には、昨日何でもかんでも写していたはずの写真機に、フィルムが入っていなかったことは黙っていよう。バカといわれるから。散歩のついでに、レーニンの銅像など、もう一度写しておかなくちゃ。
ここを読んで、内田百間の「阿房列車」のどこかにも、フィルムに何も写っていなかったと書かれていたことを思い出した。フィルムが入っていなかった、写したのにデータが全部とんでしまった、現像液だと思っていたら定着液だった。フィルムカメラでもデジタルカメラでも写真が写っていなければそれぞれにショックなのだけど、ショックのあり方が少し違っている気がしている。失敗のあり方が少し違うと言った方が